風邪の効用(野口晴哉)読書感想|生命燃焼と風邪の本質を考える
- kosakawataru6
- 2月20日
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更新日:2月21日

「風邪の効用」 野口晴哉
私は、「生命燃焼」を軸とした健康観を提唱している。
そのため、野口晴哉先生のように生命哲学を持つ方の書籍から学び、自分なりのトレーニングや健康観を構築しようと考えている。
野口先生の著書『風邪の効用』は、単に風邪の本質を学べるだけでなく、宇宙や自然によって生かされている我々が、いかにそのことを忘れてしまっているのかを、時代を超えて教えてくれる一冊である。
野口先生は、「一番難しい病気は風邪である。」「風邪は自然の整体なのではないか。」と説いている。
つまり、風邪は治すべきものではなく、「経過するもの」であり、それ自体が体を整える役割を持つのではないかという視点である。
健康な体には弾力があり、ある部分が偏って疲労の潜在状態に陥ると、その弾力が失われ、風邪を引く。
しかし、風邪を引くことで鈍くなっていた体が再び弾力を取り戻していく。
すなわち、風邪そのものが「治療行為」なのではないかと考えられる。
私は、この野口先生の哲学から、風邪とは「心身一如」の欠如を知らせるサインなのではないかと考えた。
体の偏りや歪みを感じ取れなくなった状態に対し、風邪がそれを気づかせてくれるのではないだろうか。
つまり、病気の本質は風邪や何らかの症状そのものではなく、「体と心の乖離」にある。
いくら体を整えようとしても、心が別の方向を向いていては根本的な解決にはならない。
野口先生は、「病気したと思っている機会に、その心を正すことが、本当の健康を理解する近道になる。」と述べている。
しかし、現代社会では無限経済成長と物質文明に支配され、人々の心は誤った方向へと向かいがちである。
例えば、仕事に意味を見出せず、ただ給料を得るためだけに働いているとしたら、そこに生きがいは生まれない。
「仕事に行きたくない」という心の状態と、「仕事をしなければならない」という現実の間に乖離が生じることで、心身の不調が生まれる。
このように、現代人の不調が増え続けている原因の一つは、体の問題ではなく、心と体の繋がりが断たれていることにあるのではないかと思う。
また、風邪が我々に何かを教えてくれるものだとすれば、数年の風邪の流行を考えたとき、それは単なる「病」ではなく、より深い意味を持っているのではないかと感じる。
私は、その一因として2020年から始まったウイルス騒動での薬害の影響もあると思うが、それだけではなく、風邪を通して「心と体の乖離」だけでなく「宇宙とのつながり」についても考えさせられる。
つまり、物質文明から霊性文明へと向かうための何かを、風邪が示唆しているのではないかと悟った。
野口先生は、単なる整体師ではなく、生命の本質を追求し続けた存在だったと感じる。
先生は、「直すことが上手な者がいるうちは、皆それを当てにして自分の力で経過することを忘れてしまう。」と述べ、治療をやめようと考えたことさえあったという。
これは、「治すこと」そのものが目的ではなく、「自分自身で治る力を取り戻すこと」にこそ意味がある、という哲学があったからではないだろうか。
だからこそ、野口先生は病気の改善に留まらず、「生命の本質」と向き合い続けたのだと思う。
科学第一主義の現代では、このような考え方は理解されにくいかもしれない。
しかし、私は野口先生の哲学に触れるたびに、「生命燃焼」を軸とした健康観を提唱しなければならないと強く決意することができた。


