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小名木善行『縄文の神様』|読書感想 小坂航

  • 執筆者の写真: kosakawataru6
    kosakawataru6
  • 5月6日
  • 読了時間: 3分


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小名木善行『縄文の神様』


現代社会は、科学技術の発展とともに、グローバリズムと物質主義が進行し、人々の意識は「今だけ、自分だけ、お金だけ」へと傾いている。


日本においても、近代化によって共同体意識は薄れ、個人主義が広がる中で、縄文から続く日本人本来の精神性が静かに失われつつあるように感じる。


私はこうした、人類が本来の在り方からかけ離れ続けている現状に強い危機感を抱きながら、歴史を振り返るなかで、今こそ、縄文の精神を取り戻すべき時が来ているのだと、強く確信するに至った。


小名木善行先生の『縄文の神様』は、その想いをさらに強く後押しする一冊となった。


歴史学者、アーノルド・J・トインビーは「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」と述べた。


だからこそ私は、縄文時代の神々に宿る価値観こそが、これからの世界に調和をもたらすための貴重な知恵となり得るのではないかと感じている。


この本は、縄文人の神観、時間観、自然観に深く迫りながら、「日本人とは何か」という本質的な問いを私たちに投げかけてくる。


西洋における神は、しばしば全知全能の人格神であり、統治のための存在として成立してきた。


しかし、縄文の精神から生まれた日本の神々はそうではなかった。


そこにあるのは、「働き」や「役割」を全うしたものが神とされる世界観である。


たとえば天照大御神は、太陽そのものではなく、“世を照らし、人々に恵みをもたらす存在”として神格化されている。


これは、現代でも松下幸之助が「経営の神様」と呼ばれるように、社会に貢献した人の在り方そのものが神に近づくという感覚に通じている。


つまり、神とは遠くにある絶対的な存在ではなく、私たち一人ひとりが日々の行動を通じて目指すべき、生き方の象徴なのだ。


また、八百万の神という考え方も、単に“神がたくさんいる”という意味ではない。


自然のすべて、人々の営みのすべてに神が宿るという精神である。


この世界観こそが、縄文が1万年以上にわたって持続可能な社会を築いてきた土台だった。


その背景には、環境との調和を重んじ、分散型の平等な社会を営み、階級を持たず、神と自然に畏敬を抱くという、極めて高い精神性があった。


さらには、「中今(なかいま)」の意識である。


西洋では時間は過去から未来へ流れていくとされるが、縄文以来の日本人は、未来を“これからやってくるもの”と捉えてきた。


今この瞬間の私たちの在り方次第で、良い未来が訪れるか、悪い未来を呼び寄せるかが決まるのだ。


私たち一人ひとりが、「自分のため」ではなく「未来の日本のため」に何をなすべきかという意識を持つことこそが大切であり、縄文時代とはまさに、それを自然と体現していた時代だったのだと思う。


その精神を今に活かすことができれば、日本は再び、世界の調和に貢献する精神的な柱となり得るのではないか。


私はこの本を通じて、そうした未来の可能性を強く感じた。

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