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「美しい星」三島由紀夫

  • 執筆者の写真: kosakawataru6
    kosakawataru6
  • 8月4日
  • 読了時間: 2分


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「美しい星」三島由紀夫


一家全員が自らを宇宙人と自覚している大杉家が、それぞれの“本当の憧れ”に向かって進んでいく姿から、人生とは何のためにあるのか、そんな問いが浮かび上がってくる。

 

父・重一郎は死の間際、病室の中で宇宙の意思を待ちわびる中、「愚かしさの中で、敗北の中で、苦痛の中で、惨めさの中で、聖性を夢見ていた」とある。

 

この「聖性」こそが、人間生命にとっての憧れであり、そこへ向かうには、どうしても苦しさを伴うのだと感じた。

 

現代の価値観では、「苦しみのない人生」こそが理想とされている。


しかし、苦しさを伴わないものは、本当の憧れとは言えない。

 

憧れとは、目指せば目指すほど、宇宙の意思と繋がっていくような、限りなく遠い場所にあるもの。ゆえに、それは到達不能な場所とも言える。

 

そのため、「生命燃焼」した人生は、“未完”で終わるものなのかもしれない。


自分もまた、未完の人生を受け入れて生きていきたい。

 

物語の終盤、体がボロボロになりながら円盤に向かう重一郎の姿に、「人間の肉体でそこに到達できなくとも、どうしてそこへ到達できないはずがあろうか」とある。

 

本当の憧れに向かうということは、たとえ肉体が壊れようとも、それでもなお進もうとする姿勢そのもの。


それが人生なのだと、三島先生はこの作品を通して、そしてご自身の生き様をもって、私たちに示してくれたのだと思う。

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