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文学者とは何か 安部公房 三島由紀夫 大江健三郎|読書感想 小坂航

  • 執筆者の写真: kosakawataru6
    kosakawataru6
  • 4月19日
  • 読了時間: 2分

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「文学者とは何か」安部公房 三島由紀夫 大江健三郎


本屋で何気なく手に取った一冊。


安部公房、三島由紀夫、大江健三郎、戦後日本を代表する三人の文学者による対話。


語られているテーマも関心のあるものが多かったが、言葉の選び方や表現も、今を生きる自分にとっては遠く感じる部分もあった。


けれど、それでも「わからなさ」の中に、三人から展開される対話の中に美しさを感じざる得なかった。


特に心に残ったのは、三島由紀夫先生が語った「僕は文学少年になっちゃった」という言葉。


「文学を志すなんていうのは明治末期の考え方だね」という言葉も印象的だった。


そこには、何かを“志す”ことへの憧れよりも、抗えない“流れ”の中で生まれる必然性、運命のようなものがある。


現代では「なりたい」「目指す」といった能動的な言葉が先に立ち、

さらには、「市場を見て儲かりそうだから」「マーケティング的に強いから」といった、外側の評価に合わせて進路を選ぶような風潮が当たり前のようにはびこっている。


けれどこの本を通して感じたのは、かつての文学者たちは“なった”のではなく、“なってしまった”人たちだったということ。


それはつまり、自己固有の運命に従って生きたということだと思う。


だからこそ、頭であれこれと思考を巡らせてから行動するのではなく、目の前に来たものに体当たりするようにして向き合うこと。


そこにしか、本当の意味での自己固有の道は開けないのではないかと感じた。


それは、日本の文化で言えば、「頭」ではなく「肚」で生きるということ。


三人の対話の奥に流れていたのは、そうした日本的な感覚だったのかもしれない。

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