「 根源へ 」 執行草舟|読書感想 小坂航
- kosakawataru6
- 2月27日
- 読了時間: 2分

「 根源へ 」 執行草舟
我々は、どこへ向かって死ぬのか
先日観に行った戸嶋靖昌の「 見せられたる魂 」が表紙の本
それだけで、常に目にみえる場所に置きたい一冊だ。
健康に携わる仕事をする中で、なぜ健康になりたいか、そしてどのように死んでいきたいのか死生観を持つことが大事だと考えています。
自分は日々考え悩み続けていることですが執行先生の死生観はとにかくカッコいい。
現代人の死生観が失われた大きな要因は、日本人は「 垂直の歴史観 」を失ったからだ。
垂直の歴史観とは民族固有の精神史だ。
国家が垂直の歴史観を失ったことで経済利益の追求と、自分の楽しみだけを求める生き方になった。
17 世紀デカルト以降、宗教の衰退と科学の台頭、物質文明の発達により「 私とは何であるのか 」( a priori : 先天的)を考えるようになった。
それ以前は「 何が私であるのか 」( a posteriori :後天的 )だった。
デカルトの心身二元論とは、精神と肉体を別々に分け、生きることと死ぬことも、その価値観を切り離してしまった。
精神と肉体を分離して考えれば体を物体として見ることができ、科学文明の発展を遂げる。
現代の健康観はまさしく物体としての健康であり精神が肉体から離れ、
肉体第一、いかに身体を守るのか、楽になるかという物質的な健康観になったと思う。
生だけを考えることは昼の思想( 酸化 )
混沌として目に見えない夜の思想( 還元 )こそが生命の本質「 死を想え 」( memento mori )
死が主であり、生は従。死を見つめることで生が輝く。
近代は昼の思想しか考えない。
なぜ特攻に出撃する前日の写真はいい顔なのか。
死に方が決まり、自分の死に価値ができたからだ。
死に方が決まれば生き方が決まる。
現代では受け入れ難いことかもしれないが
自分なりの死生観を創るため日本人の心と歴史を学び続けていきたい。


