肚の文化と腸内細菌|小坂航
- kosakawataru6
- 3月21日
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更新日:3月27日

肚の文化と腸内細菌
日本には古来、「肚(はら)」という概念が根付いていた。
肚とは単なる腹部ではなく、日本人にとって精神の中心だった。
しかし現代では、「頭(思考)」が支配的となり、肚の感覚が弱まりつつある。
「肚を決める」「肚を据える」「肚が座る」などの言葉からも、肚が人生の選択や精神の安定に深く関わっていたことがわかる。
では、なぜ武士道において「肚を切る」という行為があったのか?
それは単なる命の放棄ではなく、三木成夫先生の唱えた腸管発生説に見られるように、生命の根源としての「肚」を断つことで、誠を示した行為だったのだ。
現代科学も、こうした直感的な理解を裏付けるようになってきている。
「脳腸相関」はその一例であり、腸と脳は密接に連携していて、腸内環境が感情や行動に大きな影響を与えることがわかってきている。
この関係性は、日本語の表現にも見て取れる。
たとえば「虫の居所が悪い」という言葉。
ここでいう「虫」とは、まさに腸内細菌のことだ。
かつての日本人は、腸の状態が精神に影響を与えることを、感覚的に理解していたのだ。
私が腸内細菌について深く理解するようになったきっかけは、執行草舟先生からの学びにある。
執行先生は、人間の生命を支える根源的な力を「絶対負の思想」として捉え、「菌食の理論」を展開されている。
菌は単なる健康維持の手段ではなく、生命を燃やすエネルギーの源であり、腸内細菌こそが私たちの生命の核を支えているという視点だ。
歴史的に見ても、菌食が多い時代は意志力が強くなる傾向がある。
たとえばモンゴル帝国。
チンギス・ハンが世界を制覇した時代、モンゴル軍の食事の90%以上が馬乳ヨーグルトを中心とした菌食だったといわれている。
この菌食が、彼らの精神力と行動力の源だったのだろう。
また、戦前の日本も同様である。
味噌や漬物、納豆などの発酵食品を日常的に摂っていた当時の日本人は、肚が据わり、国家や家族のために生きる覚悟と愛国心を持っていた。
「絶対負の思想」においても、菌は愛や信、義といった“負のエネルギー”を高めるために存在している。
これこそが菌の本質であり、生命を内側から燃え立たせる原動力なのだ。
しかし、現代において腸内細菌や発酵食品が注目される背景には、「美容に良い」「ダイエットになる」「健康寿命が延びる」といった、物質主義的理由が大きい。
それ自体が悪いわけではない。
だが、それだけでは菌の本質を見誤ってしまうと私は感じている。
さらに、現代では食品の製造過程などの影響もあり、かつてのような“本物の菌食”が失われつつあるのも事実だ。
加えて、過度な抗菌思想が広まり、菌を「排除すべき存在」と見なす風潮が強まっている。
除菌や殺菌が健康の象徴とされる中で、人々は菌と共にあるという生命の本質を忘れかけているのではないだろうか。
今こそ、私たちはもう一度「肚」に立ち返り、菌とのつながりを取り戻すべきだ。
菌の持つ本質的な意味に立ち還り、肚の文化を再び現代に甦らせることこそが、生命をどう燃やして生きるかという本質的な問いに向き合う第一歩となると私は考える。
小坂航


